2015年11月24日火曜日

文学フリマ、無事終了いたしました。

 昨日書くべきでしたが、あまりにも疲れていたので。
 『ライ麦畑にとらわれて』があまりにも急ピッチで作った本でしたので、どうせ売れないと思ってましたが、結構売れました! ありがたやありがたや(大学の知り合いに無理やり買わせた機乃の図)
 しかし、某所のバーで知り合い一緒に枯山水をしていたメンバーが全員出展していたり、何故か僕をウォッチングしている男性が現れたりと、なんとも奇妙な巡り合わせが。
 こうして本も出せ、何かつかめたような気もします。ありがたや。



……
 というわけで、来年五月一日の文フリも出るよ!
 (まだ予定だけど)

 今のところ、『ライ麦畑にとらわれて』にも収録された「Can I see the real me?」の主人公「ルビー・チューズデイ」を主人公とした女スパイ・冒険小説の予定です。(創元の締め切り1月だし、ハヤカワの締め切り3月末なのに大丈夫なのかよ)
 もうね、ボンドカー的なチューズデイカーとか書きたいし。ルガー片手に男をたぶらかす、ハードボイルドでクールな女スパイが書きたいんですよ。



 数カ月後そこにいるのは、またもや適当な短編集を出す機乃の姿であるのだろうか……?

2015年11月15日日曜日

文学フリマ、参ります。

 来る11月23日月曜日。私の二十歳の誕生日より三日後のこと、ついに文学フリマが開催されます。場所は東京流通センター。
 さて、昨年度知人のサークルに参加させて頂いた自分は、初めての同人誌即売会を目にし、
すごい、ぼくもやりたい!!!
 と、ろくな考えも無しに思い、翌日には友人に声をかけ始めていた。
 しかしまあ、いろいろ紆余曲折あったわけで。当初企画していた美少女×スーパーロボット企画はあえなく頓挫。続く物理書籍版『僕は僕であると、彼女に証明し続ける』の新宿篇までも、九月に某アルパカ氏に裏切られ、頓挫。露頭に迷う私には、やっつけ短編集という道しか残されていませんでした。
 で、まあ、完成したわけなんですが。

こんな感じに仕上がりました。表紙を書いてくれた苔山氏には感謝。

中身はこんな感じになっております。改訂版の『過剰な環状の愛情』、『’サンジュウク』のほか、書下ろしで新たに『Can I see the real me?』と『ライ麦畑にとらわれて』を収録。ほか、喜屋武みさき氏の短編も二編入っております。


 さてこちら。『Can I see the real me?』は現在考案中の女スパイ「ルビー・チューズデイ」の活躍を描くシリーズ、その前日譚となっています。(本編無いのに前日譚とはなんぞや)
 そしてもう一つ、表題作である『ライ麦畑にとらわれて』は、私のイギリス旅行記。それをホールデン風、というよりは、ホールデンにとらわれた(?)少年風に描いています。まあ、つまるところ中二病の少年が一日ロンドンを放浪するお話です。

 サークル「ソロ充独身主義共和国連邦」は、11月23日月曜日、東京流通センターにて開催される文学フリマに出展します。人生初の同人誌、サークル参加。もう何が何やら。場所は1階のC-13です。
 C-13です。大事なことなので二回言いました。

 まあ、初めてのことですし、なろうでさえあの有様の私がどうなるかは目に見えているような気がしますが(まあそういうわけで刷ったのは20部ほど)、お手に取って頂ければ幸いです。

2015年10月29日木曜日

UKロックから見るMGSⅤ

 遅ればせながらMGSⅤ TPPをクリアした。そしてプレイ中、かねてより書きたかったMGSとUKロックとの関連性を書き出したいと思う。
 小島監督といえば、大のUKロック好きである。そういえば、MGS5の初期のトレイラーはBGMにマイク・オールドフィールドのNuclearが使われていた。他にも、ソリッド・スネークの本名が「デイビッド」で、ゼロの本名はデイヴィッド・オウ。これは、デヴィッド・ボウイがら来ている(いや、2001年のデヴィッド・ボーマンかな?)だとか、雷電はむかし若い頃のデヴィッド・ボウイに似ていると言われたことがあるとか。ゼロ少佐のコードネームになりかけた「トム」というのは、同じくボウイのヒット曲『スペース・オディティ(Space Oddity)』に登場するトム少佐(Major Tom)から来ているとか。ともかくMGSシリーズにおけるUKロックネタを挙げ始めるとキリがない。
 今回は、特にMGS5とデヴィッド・ボウイの関連性を踏まえ、この未完の物語を考えていきたいと思う。
 まず、今回のMGS5は、なにを隠そうボウイの楽曲『世界を売った男("The man who sold the man")』から始まる。そして、最終ミッションのタイトルも「世界を売った男の真実」とある。ここからしてまずMGSⅤがボウイに強い影響を受けていることが分かるだろう。他にも「国境なき軍隊(MSF)」に代わる新たな組織名「ダイアモンドドッグス」は、同じくボウイのアルバム『ダイアモンドの犬(Diamond Dogs)』から来ているに違いない。しかも『ダイアモンドの犬』はジョージ・オーウェルの小説『1984年』をモデルにしているが、MGS5の舞台も1984年である。
 ほかにも、イーライの存在。ここはもう分かっている人には、あからさますぎたと思う。
 イーライは、どうにもリキッドの幼少期らしい。液体人間とか服に書いているあたり、完全に狙っている。しかし同時、彼はさも「ジギー・スターダスト」であるかのような紹介をされている。それはホワイト・マンバ=イーライの回収ミッションの際、カズがブリーフィングにて「地球に落ちてきた星屑」(だったかな……? 自信がない。要確認)とイーライのことを形容している。これは、同じくボウイのヒット曲であり、名盤とも言われる『ジギー・スターダスト(The Rise and Fall of Ziggy Stardust and the Spiders from Mars)』から来ているのだろう。
 ボウイは70年代、同時期に『ジギー・スターダスト』というアルバムと『ハンキードリー』というアルバムを出しているが、前者は特に架空のロックスター「ジギー・スターダスト」関連の楽曲を集めている。ジギーの物語をざくっと説明すると、

 異星からロックスター「ジギー・スターダスト」が「スパイダーズ・フロム・マーズ」というバックバンドを従え、残り寿命の少ない地球へと降り立つ。ジギーは地球人たちを熱狂させ、救済せんとするが、最後にはファンの子供に殺され、ロックンロールの自殺者となる……。

 というようなストーリーだ。

 主人公であるジギーは中性的で、いかにも宇宙人のような風貌をしている。顔は白塗りで、髪の毛は真っ赤だ。彼は、五年後に滅亡の決まった地球(Five years)に落ちてきて、ロックンロールで地球を救おうとし、最後には死んでしまう。そんな彼がイーライとどのような共通点があるかと言えば、少年兵を救ったことだ。イーライは少年兵たちを統率し、大人が管理していた場所から外へと出て行った(一種のアウターへヴンだろうか?)。南アの黒人少年兵達にとっては、白人のイーライはまさしくジギーのような宇宙人的存在に写ったに違いない。そして、まさしくジギーたるイーライは、天国の外へと子供たちを連れだしていく。
 しかし、MGSⅤでのジギー・スターダストはイーライ=リキッドであろうか?

 アッシュズ・トゥ・アッシュズ(Ashes to Ashes)という曲がある。これは、同じくボウイのアルバム『スケアリー・モンスターズ(SCARY MONSTERS』に収録されている曲だ。

 この曲は、ボウイの初期ヒット曲であるスペース・オディティを否定した曲として有名だ。Space Oddityは、宇宙に行ったトム少佐を歌った曲。前述のゼロのコードネーム「トム」はここから来ている。しかし、このアッシュズ・トゥ・アッシュズでは、トム少佐を否定している。曲の冒頭でトム少佐を薬物依存の狂った人間であると言っているのだ。宇宙に行ったのではなく、幻覚を見ていただけなのだ、と。
 かつてのヒット曲の否定。これは、ボウイが常に変わり続けていることを指し示している。灰は灰に、塵は塵に。彼は常に自分の創造したキャラクターを『殺し』、そして新たに『生み出して』きた。
 さて、アッシュズ・トゥ・アッシュズの話をしたのは、MGSⅤでも同じく灰を扱い、そして自らの過去を『殺す』シーンがあるからだ。
 それは、声帯虫に感染したマザーベーススタッフを殺害していくミッション「死してなお輝く」だ。ホラーゲームを彷彿とさせるかなりショッキングなミッションであったので、覚えている方も多いだろう。ミッション中、スネークは味方殺しとしてヒューイに罵られ、しかしそれでも感染した仲間を淡々と殺していく。そして、最後には血に染まった鬼のようなスネークが現れるのだ。スネークは焼かれた味方の灰を顔に塗り、そして仲間の灰をダイアモンドに変えるよう命じる。彼らを灰にするな、と命じるわけだ。
 ここで、過去に天国の外(アウターヘヴン)を創りだしたビッグボスを殺された、とは考えられないだろうか。かつてのビッグボスは死に、ここに鬼としての新たなビッグボスが誕生した。それは、さながら過去の自分を殺すことで、新たなキャラクターへと変貌するボウイのように。

 MGSⅤは、各所で言われている通り未完の作品だ。もしかしたら、今後この『鬼』となった新たなスネークの物語が続いたのかも知れない。

 そしてこうも考えられる。小島プロダクションが消え、ソシャゲの方向性へとなったコナミ。小島監督はコナミを出たとか、出てないとか、いろいろな憶測が出ているが、ある意味で彼も『MGS』というブランドを殺し、新たな物を創造せんとしているのでは……?

 深読みのし過ぎだと言われそうなので、ここまでにしておきます。

2015年6月24日水曜日

最高に頭の悪い映画『マッドマックス 怒りのデス・ロード(”Mad Max: Fury Road”)』

 公開日が攻殻と被ってたんで、どちらを見に行こうかと悩んでいた本作。いや、こっちをとっとと見るんだったと後悔してる。
 マッドマックスと言えば、メル・ギブソン主演の大人気シリーズ。荒廃した未来を舞台に、石油を奪い合う。まさしく世紀末を描いた作品だ。
 北斗の拳の元ネタ、と言えばしっくりくる人も多いだろう。

 さて、マッドマックスは2が大好きな私。だが、本作はもう、ソレ以上と言ってもいい。なんてったって最高に頭が悪いのだ。これを作ってる連中も、キャラクター達も、最高に頭が悪い!
 言う慣ればこの世界、ガソリン車や武器兵器などはそのまま、人間の知能レヴェルが中世、いやソレ以前に戻ってしまったと言うような世界だ。人々は、新たな資源を得るために奔走するのではなく、今あるソレを奪い合うために暴力の限りを尽くす。通信などはなく、光信号やら軍楽隊(ギターやドラム。ギターに至っては火を噴く)。車両に乗った槍部隊まで。なんかもう、馬がガソリン車に変わっただけ、みたいな世界だ。しかも、なんというV8エンジン信仰! ガソリンを吹きかけて加速するシーンなんて、大笑いした。
 しかし、本作、マックスのポリスインターセプターは出てこない。代わりに出てくるのは、ウォートラック。巨大なトラック。V8エンジンにニトロ。なんというモンスターマシン! ソレを駆るのは女戦士フュリオサ。義手の女性! 更に、フュリオサの故郷のババアども! もうなんだコイツら! 最高に頭が悪い! とにかく暴力、ガソリン、暴力、ガソリンだ! あと母乳だ!
 これを言葉で語るのは難しい。ともかく、頭が悪いのだ。こんな最高に頭の悪い映画、久々に見た。パシフィック・リム、バトルシップなどに続く、最高にアホな最高の映画になるだろう。
 
 まるでジェットコースターのような映画。しかも、ずっと落ち続けるようなこの加速感。そこら中から火が噴き、頬を熱する。もう、最高だ。
 さあ、劇場へ急げ。一緒に頭悪くなろう!

2015年6月21日日曜日

デッドエンドと、第三世界。ゴーストの行き場は……。『攻殻機動隊 新劇場版』

 早速公開日の夜に見に行ったのだが、終わったのが零時で、その前にはバイトも入れていたので、書く気力がなく断念。というわけで、翌日と為る今日、レビューを書き始めた。
 攻殻機動隊といえば、士郎正宗原作のSF作品。いわゆるサイバーパンク的な世界観を部隊に、犯罪・テロを未然に防止する攻性の組織、公安9課の活躍を描いている。
 今回の新劇場版は、OVAそしてテレビシリーズと続くARISE、その続編である。より詳細に言うならば、原作や押井攻殻、神山攻殻の9課が結成されるまでの話だ。

 さて、一概に攻殻といえども、作品ごとにカラーがある。原作の少しコミカルなテイストに反し、押井は何とも押井らしい。GITSやイノセンスなど、映像美と、また彼らしい演出。あと眠くなるとか。神山版で言えば、シリアスな展開に現代社会の諸問題を組み込んだ点があげられるだろう。では、ARISE・新劇場版のカラーはなんだろうか。
 私が思うに、ARISEには脚本の冲方丁の感じが出ていたように思われるが、しかし新劇場版では随分押井・神山版に沿わせた感じがあったように思う。まあ、それら作品につながる物語であるのだから、仕方ないといえば仕方ないのだが。
 して、本作のファクターとなる物がなにか、といえば、それはデッドエンドだ。
 デッドエンド、とは、技術的な理由による義体交換の不可能。それによる死のことだ。たぶんそう(実はそこまで確信を持って言えない)。まあ、要するに古いコンピュータが互換性を失い、死に絶えていくのと同じなんじゃ? というふうに私は感じた。
 物語は終始、このデッドエンドの回避と、企業の利益獲得の為の犯罪行為に関わる。少佐達は、それらの犯罪の芽を摘むために動くわけである。

 しかし、このデッドエンドの先にあるものは何なのか。ARISEでも登場した少佐の元上司、クルツ中佐が関わってくる。
 ぶっちゃけて言えば彼女がすべての犯人なのだが。彼女の狙いは、企業が思うような技術レベルの維持によるデッドエンド回避などではない。彼女の目的は第三世界。すなわち、義体から抜け出て、意識をネットの海へ向かわせることだ。2ndGIGでも似たようなものは在った。それでゴーストは保たれるのか、という問いはあるが。
 少佐はそれらを止め、最終的にクルツを信奉し、第三世界へ向かおうとしていた子供たちに「お前たちには電脳がある。ゴーストがある」といって、出て行く。

 さて、そこで少佐は前髪を伸ばすのだが。この前で、GITS冒頭のシーンに繋がるのである。そしてまた、SACの桜の24時間監視シーンにも。
 そのところは是非見て頂きたいところだが。さて、私は本作が、随分となんか、周りくどい言い回しをする作品に思えた。いや、攻殻自体そういう作品なのだが。アクションシーンは面白く、話の内容も良かった。個人的には笑い男事件には敵わないが。

 まあ、ともあれ私が一言物申したいのは、真綾少佐は前髪垂れてるの似合わねえなあ……。

2015年6月16日火曜日

限られた時の中で輝く。『ラブライブ!The School Idol Movie』

 言わずと知れた(いろんな意味で)アイドルアニメ、ラブライブ。その劇場版が公開されたということで、見てきた。今回はそのレビュー。

 さて、ラブライブといえば、廃校の危機を救うために女学生達がアイドルグループを結成する物語。劇場盤では、スクールアイドルの大会「「ラブライブ」に優勝した後の、主人公たちμ'sの活動と、その解散までを描いている。

 で、まあ、物凄くざっくりと言ってしまえばこの映画、アニメとそれ以前の企画(要するにプロモーションビデオ)のイイトコどりをしたものだ。つまるところ、
アニメで受けた展開に、評価の高いプロモーションビデオを入れ、それらに合わせてストーリーらしきものをあてはめた。
という感じだ。

 ストーリーらしきもの、と敢えて刺のある言い方をしたのは、無論それが微妙であったからだ。序盤μ'sはよく分からんうちに撮影があるとか何とかでNYらしき場所に飛ぶ。で、そこで色々あるのだが……正直、『アニメだから』と言って目を瞑っても、何とも承服しがたいシーンが幾つか見受けられた。話の内容が何だか繋がってるんだか繋がってないんだか。あれ、あそこであった話ってどこに行っちゃったの? という感じ。アニメで受けたシーンの焼きましを、無理やりねじ込んだ結果がこれなのだろうか。まあ、終始海未ちゃん可愛かったし、風呂あがり真姫ちゃんエロかったし、寝ぼけたエリーチカ可愛かったからいんだけど。(ソルゲトリオが好きなだけ)
 
 しかし、μ'sがNYから日本に戻ってくると、展開は一変する。その無理矢理な話の作りは一挙に消え(いや、そこまででもないかな。でも、まだ見ていられる)、まあ相変わらず話の内容は穂乃果の無茶と皆の協力でなんとかなる、というものだが。しかし、ここでようやっとまともな話に変わる。
 最後に流れたμ'sメンバーの名前の込められた曲は良かったと思うし、相変わらずライブシーンはよく出来ている。イイトコどりをした結果、確かにファンは嬉しいものになっただろう。堅実な作りだ。だが、批判する気持ちも分からんでもない。特に、後半がμ's解散とスクールアイドル存続の間で揺れるという、比較的まともな話の作りだったため、ただファンサービスに走りすぎた前半NY編の必要性があまり感じられなかった。高山みなみ演じる謎の女性シンガー(これは未来の穂乃果だろうか)が出てくる以外、あまりストーリーラインに関係が無い気がするのだ……。

 ともかく、堅実な作りのファンサービスムービーだった。公式ママライブや、穂乃果パパのラブライブレードとかは正直笑えた。あと、真姫ちゃん巻き戻ってた。
 言うまでもなくラブライバー、またはラブライ部員諸兄は見に行っただろうと思う。見いていないのなら、まあ、好きなキャラが可愛いのを身に行くために劇場に行くといいだろう。

2015年5月30日土曜日

純粋な”意識”は次の場所へ向かうか?『チャッピー(Chappie)』

 SF映画としては、今年結構期待していた作品。第9地区や、エリジウムで知られるニール・ブロムカンプ監督の最新作。
 この作品、公開前にソニー・ピクチャーズが一部編集して公開するとか、監督が「そんなの聞いてねえよ」とか言って、一悶着あった。期待していた分、私も結構ショックだった。
 が、まあ編集部分はそこまで気にならなかった。むしろ気になる点は他に多くあったわけだが……。
 ともかく、昨今ファミリー、カップル向けに映画を無理やり宣伝している感じがあるので、おそらくチャッピーもそうなったんじゃないか、とか考えている。


 さて、本作のざっくりしたあらすじは、というと、意識を持ったAIチャッピーの成長物語である。
 舞台は南アフリカのヨハネスブルグ。(そういや第9地区もヨハネスブルグが舞台だった)治安維持の為に警察はAIを搭載した人型ロボットを投入。犯罪の発生率は低下していた……。そんな中、ドロイドの開発者であるディオンは、意識を持った完全な人工知能を開発。それをドロイドに搭載、実験を申し出る。だが、その実験は却下されてしまう。
 諦められないディオンは、破棄処分が確定されたドロイド(チャッピー)にAIのデータを転送しようとする。だが、そんな中、犯罪組織にディオンは誘拐されてしまう……。
 子供のようなAI、チャッピー。ヨハネスブルグの過酷な社会で成長する『少年(チャッピー)』の半生を描いた作品。

 と、言ったところだろうか。
 詳しくは本編を見て頂きたいところだが、しかし私は、この作品に「違和感」を感じてしまった。
 その違和感の正体というのは、『意識』というものの捉え方だ。
 愚かな、嘘つきの人間と、純粋なAI。その対比こそがこの作品の本質であり、まあ、それがテーマであろうことは簡単に理解出来る。実際、その点ではよく出来ていると感じる。リアルなドキュメンタリー調から始まる物語は、人間の本質に迫っているだろう。
 だが、そのようなリアルさを描いているがゆえに、AIが持つ意識という物に足を突っ込んだ途端、急に違和感が生じたわけである。
 物語中盤、チャッピーは自らが破棄処分の確定された個体で、バッテリーが限界に近づいていると知る。彼は死を回避するため、自身の『意識』をデータとして転送することを思いつく。そして、見事に意識という物を見つけ出すのだ。
 だが、考えてみて欲しい。チャッピーに意識を生じさせたのは、他でもないディオンだ。彼は、そのようなプログラムを作り、チャッピーにそれをインストールしたはずなのだ。しかしながら、彼は成長し、自我を持ったチャッピーを観て「こんなことになるとは思わなかったんだ」とか何とかのたまうのである。
 いや、待ってくれ。プログラムしたのお前だろ? なんでお前、意識なんてわけわからん物を、理解できぬままプログラムできたの?
 いや、わけのわからんまま放ったらかすのは、まあ訳の分からんまま生じてしまった、セレンディピティのようなものだと考えられる。だが、それは意識としてデータとして捉えられるものだと、後々に判明する。しかも、それをアンドロイドに転送することまで可能にしてしまう。
 SF的な設定。大いに結構。だが、序盤のリアル志向な始まり方のせいで、この曖昧な設定が浮いて見えてしまう。それが違和感の正体だろう。

 と、まあ。相変わらずメカニックは格好良かった。問題は、余計な所に手を伸ばしてしまったことのような気がする。
 あと、「テンション」って書かれたオレンジ色のズボンがすっごい気になった。あれ何処に売ってるんだ。