この作品、公開前にソニー・ピクチャーズが一部編集して公開するとか、監督が「そんなの聞いてねえよ」とか言って、一悶着あった。期待していた分、私も結構ショックだった。
が、まあ編集部分はそこまで気にならなかった。むしろ気になる点は他に多くあったわけだが……。
ともかく、昨今ファミリー、カップル向けに映画を無理やり宣伝している感じがあるので、おそらくチャッピーもそうなったんじゃないか、とか考えている。
さて、本作のざっくりしたあらすじは、というと、意識を持ったAIチャッピーの成長物語である。
舞台は南アフリカのヨハネスブルグ。(そういや第9地区もヨハネスブルグが舞台だった)治安維持の為に警察はAIを搭載した人型ロボットを投入。犯罪の発生率は低下していた……。そんな中、ドロイドの開発者であるディオンは、意識を持った完全な人工知能を開発。それをドロイドに搭載、実験を申し出る。だが、その実験は却下されてしまう。
諦められないディオンは、破棄処分が確定されたドロイド(チャッピー)にAIのデータを転送しようとする。だが、そんな中、犯罪組織にディオンは誘拐されてしまう……。
子供のようなAI、チャッピー。ヨハネスブルグの過酷な社会で成長する『少年(チャッピー)』の半生を描いた作品。
と、言ったところだろうか。
詳しくは本編を見て頂きたいところだが、しかし私は、この作品に「違和感」を感じてしまった。
その違和感の正体というのは、『意識』というものの捉え方だ。
愚かな、嘘つきの人間と、純粋なAI。その対比こそがこの作品の本質であり、まあ、それがテーマであろうことは簡単に理解出来る。実際、その点ではよく出来ていると感じる。リアルなドキュメンタリー調から始まる物語は、人間の本質に迫っているだろう。
だが、そのようなリアルさを描いているがゆえに、AIが持つ意識という物に足を突っ込んだ途端、急に違和感が生じたわけである。
物語中盤、チャッピーは自らが破棄処分の確定された個体で、バッテリーが限界に近づいていると知る。彼は死を回避するため、自身の『意識』をデータとして転送することを思いつく。そして、見事に意識という物を見つけ出すのだ。
だが、考えてみて欲しい。チャッピーに意識を生じさせたのは、他でもないディオンだ。彼は、そのようなプログラムを作り、チャッピーにそれをインストールしたはずなのだ。しかしながら、彼は成長し、自我を持ったチャッピーを観て「こんなことになるとは思わなかったんだ」とか何とかのたまうのである。
いや、待ってくれ。プログラムしたのお前だろ? なんでお前、意識なんてわけわからん物を、理解できぬままプログラムできたの?
いや、わけのわからんまま放ったらかすのは、まあ訳の分からんまま生じてしまった、セレンディピティのようなものだと考えられる。だが、それは意識としてデータとして捉えられるものだと、後々に判明する。しかも、それをアンドロイドに転送することまで可能にしてしまう。
SF的な設定。大いに結構。だが、序盤のリアル志向な始まり方のせいで、この曖昧な設定が浮いて見えてしまう。それが違和感の正体だろう。
と、まあ。相変わらずメカニックは格好良かった。問題は、余計な所に手を伸ばしてしまったことのような気がする。
あと、「テンション」って書かれたオレンジ色のズボンがすっごい気になった。あれ何処に売ってるんだ。