2014年12月30日火曜日

〈harmony After/〉 1

 此の物語は、決して感情を喚起させる為のテクスト、すなわちETML1.2などでは書かれていない。その証拠に、文頭にETMLタグというものは存在していないはずだ。
 此のテクストは、ひどく古典的な方法により入力された。そういうものなのだ。
 かつて、人は感情を失った。いや、より正確に言うならば、意識というものを失った。なぜならそれは、ヒトには必要のないものだから。人間が真に社会とハーモニーを奏でる為には、そこに存在する人間の、非常に泥臭い意識と呼ぶべきものを削除する必要があったからだ。
 よって、人間の意識は削除された。それはとても幸せなことだ。
 ハレルヤ、ハレルヤ、ハレルヤ、ハレルヤ、ハレルヤ。
 しかしそんな幸せを感じる事は出来なかった。ヒトはうれしいとか、楽しいとかいう感情を持つことは無かった。それを所持することは、悪とされたからである。意識は必要ない。ただ最良と見做される選択肢を享受し続ければいい。それは、傍から見れば過去一般的に言われた「ヒト」の概念に一致するが、その内部のものというのは、ロボットやアンドロイド、ゾンビなどという方が正しかった。コンピュータが、喜びを感じることは、不可能だ。
 エモーション。いまやそれは、Emotion-in-Text Markup Language――すなわち、ETMLでしか呼び起こすことの出来ないものとなっている。だが、それも所詮、誰かの感じた感情というやつを、僕というハードの中で再現しているだけにすぎない。再生しているだけにすぎない。それは、本当の意味での意識を回復したとは呼べないだろう。単純に写真を見せられれただけでは、実際にその風景を見た時に感ずる物を理解できないのと同じだ。
 しかし、僕は此処に宣言する。僕は、理解した。意識と呼ばれる遺物を。それこそが、此のテクストの最大の存在理由だ。それが、僕の人間宣言。
 僕は、意識を持っている。僕は、人間だ。
 そんなのは不可能な話だと、この社会では誰もがせせら笑うかもしれない。だが、それもおかしな話だ。いまや人類は、メディモルが脳血関門を越えて分泌する薬剤のおかげで、意識――報酬系を喪失した。だが、それは決して完全消失したわけではないのだ。あくまでも機能停止。僕らの脳にある意識と呼ぶべき器官は、ひっそりと昏睡状態に陥った。薬で眠らされたのだ。
 いま、人類は薬漬けだ。かつて存在した生府社会以上に、薬漬けだ。薬がないとこの社会は成り立たない。この社会はとてもナイーブで、少しでも荒いタオルに擦られると、すぐにボロボロと崩れていってしまう。なぜなら、それは想像力を失ってしまったから。自己内で虚構を創造する、リアルをシミュレートする力を失ってしまったから。誰しも不足の事態というやつを想像できなくなってしまったから。だから完全に社会が制御された状態でしか、人間はハーモニーを奏でられない。
でも、ある程度、此の社会にも危機対応プログラムのようなものもあるのだろう。だが、それも圧倒的なリアルの力には勝てない。ただ現実にひれ伏すことしか出来ないのだ。
 僕は、その中で目覚めた。圧倒的なリアルの力。それを目の前にして、僕は意識という自己内に存在する、禁忌とも言うべきものを解放しなければならなくなった。それは、かつて殺人と呼ばれた行為の中であった。
 僕のいた地域では、僕らのことをケル・タマシェクと呼んだらしい。それが何を意味するか、僕には分からないけれど、それらが昔、誰かと誰かを区別するために役立っていたことだけは分かる。
 僕らの国は、ある日突然統率された。意識を失った僕らは、途端に戦争をやめ、海外からやってきた人間に従って国家を再生し始めたのだとい
う。そう爺様が言っていた。
 昔、意識を必要としない民族が、コーカサスの奥地にいたの……。
 テクストは僕にそう語りかける。
 もちろん僕は、それが真実であるかどうか、分からない。というよりもむしろ、僕にとってそれは普遍的なことであって、遠くロシアの奥地にあった異質なモノ、という感覚はなかった。
 いま、この瞬間に至るまでは。
 
 これから話すのは、
 戦列者の物語。
 落伍者の物語。
 つまりそれは、覚醒した「ぼく」の物語。
 かつて存在した無意識からではなく、意識から愛を込めて、僕はメッセージを送る。
 僕は意識の無い、至って普通の人間にすぎなかった。あの社会の中で、での話だけれど。
 かつて、《大災禍》と呼ばれる世界的な危機があったという。その大暴動の果てに、人類は恒常性を維持するシステムを発案した。WathcMeと呼ばれるそれは、いま、真のハーモニクスを形成したこの社会においても、名残として僕らの体に刻み込まれている。それが管理し、分泌する医療分子群、メディモルもそうである。先生は言った。それらのおかげで、今の私たちの調和が存在しているのよ、と。
 僕らはそれを、おかしいなどとは思わなかった。思えなかった。社会の調和を望むのが当然であり、それが大昔に人々が追い求めた神の国であろうと、そう考えることしか出来なかったからだ。意識はなく、僕らはそう考えることを余儀なくされた。
 しかし、その調和というものは、バラバラの人間たちをひとまとめにし、「右向け右」といえば全体が右を向くような、そういったものではない。むしろそれは、よく統制された軍人に対して、よりよく命令を伝達出来る通信システムを与えるような、そんなものなのだ。だから真のハーモニクスとはいえない。いや、言えるのかもしれないけれど、それはひどく脆弱だ。少しでも土台に亀裂が入れば、その調和は不協和音を奏でる。素人にに高級な道具を与えても宝の持ち腐れのように。豚に真珠、なのだ。
 そしてお生憎様、僕らの社会では、そのハーモニーの土台に微かな亀裂が生じていたのだ。
 その亀裂が何か、僕には分からない。その間のことは、所詮無意識の出来事だから。
 もちろん脳は記憶している。だが、それを思い出そうとすると、「何故」というフレーズばかりが出てくる。無意識だからだ。僕の意識と相反する行動を行っていても、そこには僕の意識がない。だから矛盾が生じている。無意識が最良と見なすものが、僕の最良と違うこともある。というよりも、それの連続だ。
 僕は、無意識の中で育ち、そして死ぬことを選択した。
 自殺。
 過去、そして現在。禁忌とされる最悪の行為によって、僕は社会とのハーモニーを奏でようとしていた。

 世界は、僕に「死ね」と命じたのである。