2014年12月30日火曜日

〈harmony After/〉 1

 此の物語は、決して感情を喚起させる為のテクスト、すなわちETML1.2などでは書かれていない。その証拠に、文頭にETMLタグというものは存在していないはずだ。
 此のテクストは、ひどく古典的な方法により入力された。そういうものなのだ。
 かつて、人は感情を失った。いや、より正確に言うならば、意識というものを失った。なぜならそれは、ヒトには必要のないものだから。人間が真に社会とハーモニーを奏でる為には、そこに存在する人間の、非常に泥臭い意識と呼ぶべきものを削除する必要があったからだ。
 よって、人間の意識は削除された。それはとても幸せなことだ。
 ハレルヤ、ハレルヤ、ハレルヤ、ハレルヤ、ハレルヤ。
 しかしそんな幸せを感じる事は出来なかった。ヒトはうれしいとか、楽しいとかいう感情を持つことは無かった。それを所持することは、悪とされたからである。意識は必要ない。ただ最良と見做される選択肢を享受し続ければいい。それは、傍から見れば過去一般的に言われた「ヒト」の概念に一致するが、その内部のものというのは、ロボットやアンドロイド、ゾンビなどという方が正しかった。コンピュータが、喜びを感じることは、不可能だ。
 エモーション。いまやそれは、Emotion-in-Text Markup Language――すなわち、ETMLでしか呼び起こすことの出来ないものとなっている。だが、それも所詮、誰かの感じた感情というやつを、僕というハードの中で再現しているだけにすぎない。再生しているだけにすぎない。それは、本当の意味での意識を回復したとは呼べないだろう。単純に写真を見せられれただけでは、実際にその風景を見た時に感ずる物を理解できないのと同じだ。
 しかし、僕は此処に宣言する。僕は、理解した。意識と呼ばれる遺物を。それこそが、此のテクストの最大の存在理由だ。それが、僕の人間宣言。
 僕は、意識を持っている。僕は、人間だ。
 そんなのは不可能な話だと、この社会では誰もがせせら笑うかもしれない。だが、それもおかしな話だ。いまや人類は、メディモルが脳血関門を越えて分泌する薬剤のおかげで、意識――報酬系を喪失した。だが、それは決して完全消失したわけではないのだ。あくまでも機能停止。僕らの脳にある意識と呼ぶべき器官は、ひっそりと昏睡状態に陥った。薬で眠らされたのだ。
 いま、人類は薬漬けだ。かつて存在した生府社会以上に、薬漬けだ。薬がないとこの社会は成り立たない。この社会はとてもナイーブで、少しでも荒いタオルに擦られると、すぐにボロボロと崩れていってしまう。なぜなら、それは想像力を失ってしまったから。自己内で虚構を創造する、リアルをシミュレートする力を失ってしまったから。誰しも不足の事態というやつを想像できなくなってしまったから。だから完全に社会が制御された状態でしか、人間はハーモニーを奏でられない。
でも、ある程度、此の社会にも危機対応プログラムのようなものもあるのだろう。だが、それも圧倒的なリアルの力には勝てない。ただ現実にひれ伏すことしか出来ないのだ。
 僕は、その中で目覚めた。圧倒的なリアルの力。それを目の前にして、僕は意識という自己内に存在する、禁忌とも言うべきものを解放しなければならなくなった。それは、かつて殺人と呼ばれた行為の中であった。
 僕のいた地域では、僕らのことをケル・タマシェクと呼んだらしい。それが何を意味するか、僕には分からないけれど、それらが昔、誰かと誰かを区別するために役立っていたことだけは分かる。
 僕らの国は、ある日突然統率された。意識を失った僕らは、途端に戦争をやめ、海外からやってきた人間に従って国家を再生し始めたのだとい
う。そう爺様が言っていた。
 昔、意識を必要としない民族が、コーカサスの奥地にいたの……。
 テクストは僕にそう語りかける。
 もちろん僕は、それが真実であるかどうか、分からない。というよりもむしろ、僕にとってそれは普遍的なことであって、遠くロシアの奥地にあった異質なモノ、という感覚はなかった。
 いま、この瞬間に至るまでは。
 
 これから話すのは、
 戦列者の物語。
 落伍者の物語。
 つまりそれは、覚醒した「ぼく」の物語。
 かつて存在した無意識からではなく、意識から愛を込めて、僕はメッセージを送る。
 僕は意識の無い、至って普通の人間にすぎなかった。あの社会の中で、での話だけれど。
 かつて、《大災禍》と呼ばれる世界的な危機があったという。その大暴動の果てに、人類は恒常性を維持するシステムを発案した。WathcMeと呼ばれるそれは、いま、真のハーモニクスを形成したこの社会においても、名残として僕らの体に刻み込まれている。それが管理し、分泌する医療分子群、メディモルもそうである。先生は言った。それらのおかげで、今の私たちの調和が存在しているのよ、と。
 僕らはそれを、おかしいなどとは思わなかった。思えなかった。社会の調和を望むのが当然であり、それが大昔に人々が追い求めた神の国であろうと、そう考えることしか出来なかったからだ。意識はなく、僕らはそう考えることを余儀なくされた。
 しかし、その調和というものは、バラバラの人間たちをひとまとめにし、「右向け右」といえば全体が右を向くような、そういったものではない。むしろそれは、よく統制された軍人に対して、よりよく命令を伝達出来る通信システムを与えるような、そんなものなのだ。だから真のハーモニクスとはいえない。いや、言えるのかもしれないけれど、それはひどく脆弱だ。少しでも土台に亀裂が入れば、その調和は不協和音を奏でる。素人にに高級な道具を与えても宝の持ち腐れのように。豚に真珠、なのだ。
 そしてお生憎様、僕らの社会では、そのハーモニーの土台に微かな亀裂が生じていたのだ。
 その亀裂が何か、僕には分からない。その間のことは、所詮無意識の出来事だから。
 もちろん脳は記憶している。だが、それを思い出そうとすると、「何故」というフレーズばかりが出てくる。無意識だからだ。僕の意識と相反する行動を行っていても、そこには僕の意識がない。だから矛盾が生じている。無意識が最良と見なすものが、僕の最良と違うこともある。というよりも、それの連続だ。
 僕は、無意識の中で育ち、そして死ぬことを選択した。
 自殺。
 過去、そして現在。禁忌とされる最悪の行為によって、僕は社会とのハーモニーを奏でようとしていた。

 世界は、僕に「死ね」と命じたのである。

2014年11月23日日曜日

事象の地平線の先にあるモノは? 『インターステラー(Interstellar)』

 ダークナイト、インセプションなどで知られる映画監督、クリストファー・ノーラン。彼の最新作である『インターステラ―』を見てきたので、そのレビュー。ネタバレ注意です。

 さて、本作は前々から目をつけていた訳ですが、ざっくばらんにそのストーリーを言うと、要するに「ハリウッド版宇宙戦艦ヤマト」という感じ。作物が育たなくなり、食料危機に陥った未来。このままでは人類は餓死。それどころか、大気中の酸素がなくなり人類は窒息死してしまう。それを回避するため、居住可能な惑星を探しにいく……というもの。
 宇宙飛行士を主人公とした映画というと、だいたい『2001年宇宙の旅』、そして最近では『ゼロ・グラビティ』が引き合いに出されます。しかし、本作のキモは、それら二作品とは明らかに違います。比べるポイントが、明らかに違うように思えます。
 というわけで、私が思ったこの作品のキーポイントはこの二つ。

人間の欲望、野心から生まれる嘘。

事象の地平線を超えるモノ。あるいは、超えた先にあるモノ。

 この二つです。
 まずは、前者ですが。正直このへんは「なかだるみ」と私が感じた箇所でもあります。
 順を追って説明すると、主人公のクーパー(マシュー・マコノヒー)は元NASA所属のパイロット。しかし今では一線を退き、農夫として息子と娘、父と共に暮らしていました。息子は農家を継ぐ予定で、一方娘のマーフィー(ジェシカ・チャステイン)は、宇宙に興味を抱く少女。そんな彼女の部屋で、ある日異変が起きる。ポルターガイスト現象や、重力の異常など。そしてそれらは誰かからのメッセージだと判明する。
 メッセージに従い、クーパーとマーフィーはある座標へ。そこにあったのは極秘裏に活動していたNASAだった。
 NASAは、人類の危機に対し、二つのプランを計画していた。プランAは、コロニーを建造して移民するというもの。しかし、その為には重力制御装置の開発が必須。重力に関する方程式を解く必要があった。一方のプランBは、突如発生したワームホールの先にある別銀河に人間の受精卵をまき散らすというもの。クーパーは、プランBの為にワームホール探査に行った先遣隊を救出。並びに居住可能な惑星の調査のため、宇宙船のパイロットに選ばれる。
 ……という感じなのですが。これらの大半は嘘です。
 何が嘘かというと、居住可能な惑星を見つけたという先遣隊のマン博士。そして、方程式を解くと言ったブランド教授。二人は欲望の為に嘘をついたのです。マン博士は、救援を求めて嘘の情報を地球に送り、更に手柄を自分の物にするためクーパーたちを騙します。そのくせ「俺は人類の為に戦ってるんだ!」みたいなことを言っちゃう矛盾っぷり。
 そしてもう一人、ブランド教授はというと、コロニー建造の為の方程式はとっくに解けていた。というよりも、解けないということが分かっていた。というのも、解くためには「事象の地平線(イベント・ホライゾン)」を観測する必要がある。ブラックホールを探査する必要があった為です。しかし、プランAの嘘をついたのは、「地球にいる人々を見捨てる」ということを言ってしまえば、クーパー達は宇宙へ行かなかっただろう、という理由から。
 つまり、どこまでも人の欲望や、存在することへの固執のようなものを描いています。物語の中盤はずっとこれ。
「あれは嘘だ
「うわあぁぁぁぁぁぁ!!」
 みたいなやりとりが連続します。


 で、超えると一番のキモ。事象の地平線を超えた先が出てきます。
 ブラックホールで重力ターンをした後、他の惑星を目指すのですが、その際にクーパーはブラックホールに飲み込まれます。そして、事象の地平線へと向かうわけです。
 事象の地平線と言えば、シュタインズ・ゲートでも出てきたアレです。光の速さを超え、過去へメールを送ってしまうアレ。そのイベント・ホライゾンを超えると、時間と空間が逆転します(これはよくある誤解らしいですが、クソ文系の私には詳細がわかりません)。つまり、時間を超越した存在になるということです。ただし、空間は移動できない。
 クーパーは、そうして『あらゆる時間におけるマーフィーの部屋』に存在することになります。
 そうです。マーフィーの部屋で起きていた奇怪な現象は、事象の地平線を超えた先で、クーパーが時空を超えてメッセージを送ろうとしていたのです。この、始めの部分がラストに繋がる演出は、かなり良く出来ていたと思います。そのために、中盤の人間関係がだるーく感じられてしまう。特に三時間を超える大長編なのでなおさら。


 で、冒頭で何故私が『2001年宇宙の旅』や、『ゼロ・グラビティ』と比較してはならないというのは、宇宙空間の描き方ではなく、この『インターステラ―』の一番のキモは「ブラックホールの描き方」にあると思うからです。
 まあ、序盤でヤマトや、時間の流れ関連でトップをねらえ!を思い出してしまう私でしたが。
 ともかく、本作の核を成すのは何よりもブラックホール。次元を超えるモノ。これでしょう。
 
 人間関係、愛というものの描き方では、インセプションの方が秀逸であったと思います。しかし、ブラックホールという物を主題に置き、ここまでの物語を完成させた事は、本当に見事。ノーランには、この調子で素晴らしいSF映画を撮って欲しいと、心底思う作品でした。

2014年9月21日日曜日

TGS2014パブリックデー二日目レポー ト『METAL GEAR SOLID V: THE PHANTOM PAIN』はこうなる!?

 実家から東京への帰還早々、東京ゲームショウ2014に突撃した機乃。
 友人の誘いで初めて訪れたTGSであったが、やはり目玉は『MGS5』だ。今回私は、TGS2014のパブリックデー二日目、コナミブースのイベントに参戦したので、そちらのレポート。

 で、本題はここからだ。最終日最後のイベント、キャストと新川洋司氏、矢野健二氏を交えてのイベントにて、監督からこんな言葉が(正確には矢野氏に受け答えるかたちであったけれども)漏れた。

MGSⅤのテーマは、VOICEである。


 このことに関しては、矢野氏が勝手にMGS5の内容を予測する、というコーナーがあったのだが、その際に監督が「当てられちゃったかぁ~」という感じで受け応えていた。なのでたぶん合っていると思われる。
 しかし、MGS5のテーマがRACE(人種)であることは、既に公式で発表済み。となると、これは裏テーマということになるのだろうか?
 ちなみに矢野氏が挙げたVOICEの根拠は、以下のようだ。


① "V"で始まり"E"で終わる。
 MGSシリーズのテーマといえば、"GENE","MEME","SCENE","SENSE","PEACE"と全て"E"で終わっている。
 そして、今作はナンバリングタイトルだが、5がローマ数字のⅤとなっている。故に、VとEで始まる単語=VOICEという説。

②クワイエットの存在。
 今回のTGSでも、特にバディシステムの点において特筆されたクワイエットの存在。監督曰く「敵か味方かわからない」らしいが。
 彼女は、なんというか、もう常人離れした身体能力とステルス迷彩を持った女スナイパー。そんなクワイエットは、『言葉を持たない狙撃手』として紹介されている。しかし、彼女は別に声帯が無いとか、そういうわけではないらしいのだ(鼻歌歌ってるし)。
 となると、何らかの理由で声、あるいは言葉を失った。そこでもVOICEが関わって来る。

③スネークの台詞が減少。
 これはハッキリとは分からないが、監督また大塚氏曰く「スネークの台詞が減った」とのこと。その代わりに一言でいろんな意味を含ませなければならなくなってきたという。そこにもVOICEが絡んでいる?

④メタルギアは常に現代社会の問題をテーマにしていた。
 メタルギアシリーズは、確かに小島監督の説教というか、そういった側面が有る。そういうわけで、今回矢野氏が引き合いに出したのは現代社会における声の減少だ。我々は、まさに今このネット社会においてブログやSNSなど、書き言葉に依拠した生活を送っている。動画やラジオなども発展しつつあるが、文字を介したコミュニケーションツールと比べれば、圧倒的に少ないだろう。
 現代我々は、そう言った文字にまみれた生活を送ることで、言葉を発する機会を失いつつある。そういう意味での『言葉を持たない存在』ではなかろうか。
 そういった点においても、MGS5はVOICEがテーマではないだろうか。

⑤RACEにつながる。
 人種を一瞬で分かつ最も簡単な方法は何か。肌の色なども挙げられるが、しかしもっと簡単に、同時に細かく分けられるのは言葉(VOICE)である。人種をテーマにする上で言語は避けて通れぬ道といえる。そう言った点でも、RACEとVOICEはつながる。


 以上が矢野氏が挙げたこと(おそらくそうだと思う)である。無論この全てがあっているかは不明だが、小島監督は否定はしなかった。ただ、これ以上の追求も無かった。もちろんVOICEが本当のテーマであるかどうかは、本編が出て見なければ分からない。しかし、この説はあながち間違ってはないのでは、と考えられる。
 現在、ハヤカワSF用の原稿で言葉をテーマに作品を書いている私にすれば、実にタイムリーな話題だ。現代社会において『言葉』という存在は高度化し、しかし話し言葉というものは希薄になっているのかもしれない。ハーモニーで伊藤計劃が意識の外部化を図ったように、現代我々は多くのコミュニケーションを様々な『機械』という外部装置を媒介としている。それは、まるで身体を機械化していくスネークたちのよう。
 MGSは一貫して戦争を作品の主軸においてきたわけだが、そもそもの戦争の根源とは何であるか。宗教、民族、利益……と、様々な要因が挙げられるが、その最たるものとしてやはり人種が挙げられるだろう。人は、個人あるいは集団がもつ価値観というものに依拠した文化を形作り、そこから言葉というものへ発展していく。それらは各々差異を孕むもので、結果的に宗教や民族対立、あるいは経済的な対立の根源となるのは明白である。そんな戦争の根源たる人種、言葉がMGS5のテーマなのでは。

 では、復讐のために悪へと堕ちたスネークの存在は?
 監督曰く、スネークはもちろん暗黒面に落ちる、といっても進んで悪の道へ堕ちたわけではない。復讐の為、仲間を守るため、己が信ずる正義の為に殺意を持った結果、それが悪意へと変貌した。その根源は何か? 報復、復讐といったもの。その連鎖が現代も続く戦争と成る。そして、その根源こそ人種――さらにその根源がVOICEだ。



 と、急にこんな事を書きだしたのは、VOICEというテーマが現在鋭意執筆中の公募作と重なったからである。
 『METAL GEAR SOLID V: THE PHANTOM PAIN』、一ファンとして発売を楽しみに待つとします。

2014年9月7日日曜日

「AKIRA/アキラ」 第三回『LUCY/ルーシー』

 リュック・ベッソンが送る。スカーレット・ヨハンソン、モーガン・フリーマン、あとよくわかんないマフィアだの警察だの、千原ジュニア似の中国人といったキャストによる、よくわかんない阿呆設定映画。

 と、予告を見た方はわかると思いますが(一応下にご用意)、脳の機能をフルに使えるようになった女性「ルーシー」の活躍を描く作品。

 なのですが、なんというか、能力を得る過程がですねぇ……はい。
 というわけで、ざっくり説明。


 舞台は、拳銃持って病院に押し入っても何も言われないのに、死にかけの末期がん患者を殺したら咎められる国、中国。あとフランスとか。
 主人公のルーシーは、中国語も話せないのに中国に住んでるよくわからない女性。どうやら頭が足りてない。そんな彼女はある日、一週間前に知り合ったばかりの男に運び屋の仕事を頼まれる。いやいや引き受けたら、あれよあれよという間に今度は中国マフィアの運び屋に。どうにも彼らはルーシーの腹部に新種の麻薬を入れたらしい。で、ルーシー他、腹部に薬の袋を入れられた者達は、各々の母国に戻ることになった。……なったんだが、ルーシーだけは何故だか中国人にレイプされかけて、そのせいで腹の中で麻薬が溢れてハイになっちゃった!
 そしたら、なぜなぜどうして? 脳の機能が20%以上使えるように! 一瞬で中国語も理解するし、脳の機能に関する論文を数分で読破。教授(モーガン・フリーマン)に直接電話したり、電波操って謎ハッキングを始める始末。あのルーシーちゃんが、この世の全てを理解できるように!
 そんなルーシーは、最終的に脳の機能を100%使えるようになりました。でも、その体は長く持ちません。よって、大学のコンピュータを元に新しくスパコンを作って、USBメモリに全ての知識をぶち込みましたとさ。やったね! これで人類は、進化へとまた進みました!

いや、次世代コンピュータとはいえ、脳データ全部が外部記憶装置に入るのかよ!?


なんというか、まるで攻○機動隊とかア○ラのようですが、そのへんの説明は一切無いので、よくわかんない。
 私が思うに、こういう阿呆みたいな設定の作品というのは、二つに分けられます。一つは、

阿呆な設定へのツッコミを黙らせるほどの格好良さ、熱い物語、演出などなどを持った『素晴らしく阿呆』な作品。

 で、二つ目が

阿呆な設定をそのまんま見せ続けて、視聴者を(ある意味で)黙らせる作品。

 の両極端だと思ってます。
 前者は、私が思うところでは『男たちの挽歌シリーズ』とか、『パシフィック・リム』とか。設定無茶苦茶だけど、カッコイイからどうでもいいよな! って言える作品。
 『LUCY/ルーシー』は、少なくとも前者にはなれなかった気がします。アクションが派手なわけでもなく、斬新なわけでもなく。ちょいと指振ったら敵がすっ飛んだりなんなりする程度。カーアクションシーンも、TAXIやトランスポーターほどの派手さはありません。
 期待してたのと違う、という意見があるのは、確かに言えてますね。可もなく不可もなく。

2014年8月9日土曜日

「筋肉式交渉術(機械版)」 第二回『トランスフォーマー/ロストエイジ』

 公開初日の今日、地元の映画館で見てまいりました。というわけで、一応ネタバレ注意です。
 で、まず最初に言っておきますが、

サムは出ません。レノックスさんも出ません。

 ということで、お馴染みのシャイア・ラブーフ語と寒いギャグは聞けません。
※参考

 で、代わりに登場するのは、某狂気のマッドサイエンティストを拗らせたようなガラクタ発明家の父親(マーク・ウォールバーグ)と、エロい娘(ニコラ・ペルツ)。
 さて、察しの良い方は予想出来てますね。はい、親父が娘を守る話です。はい、いつもの展開ですね。
 とはいえ、メインはトランスフォーマーです。ロボットです。彼らの話はプラスアルファと言った感じ。頭空っぽでほげ~っと楽しめるロボバトルに人間というおまけが付属してる感じですね。


 で、まあざっくりあらすじを言っちゃいますと、

 舞台は五年後。オートボットを信用できなくなった人類は、ディセプティコンの破片やら、生け捕りにしたオートボットやら、地下に眠ってた金属製の恐竜からガンダニュウム合金トランスフォーミウムなる金属を発見。そいつを使って人工トランスフォーマーを創りだそうとしていた。
 かたや追い詰められていたオートボット。おんぼろになったオプティマスプライムは、例の親父に助けられる。が、そこにCemetery Windとかいうダッサイ名前の部隊と宇宙賞金稼ぎのトランスフォーマー(ランボルギーニ)が!
 逃げていく中、人間側が創りだしたトランスフォーマーがメガトロンの意志に乗っ取られる!
 しかも、どうやら連中はシードなる生物を強制的に金属生命体化させる爆弾(恐竜はそれで絶滅したっぽい)を手に入れ、ソイツでトランスフォーミウムを量産するつもりでいた! その上メガトロンはそれを奪って人類滅亡を企んでいるらしい。
 わーお、人間側のトランスフォーマーが全部メガトロンに奪われちまったぜ! あとはオートボットを頼るしかないやん!
オートボット「そんなこと言われても、お前らのせいで戦力ないし……」
オプティマス「私にいい考えがある」
 なんかよく分からんが、宇宙船から金属恐竜が出てくるぞ。
 よくわからんけど、取り敢えず敵ぶっ飛ばして、平和は訪れた。メガトロンまだ生きてるけど。

 とまあ、適当ながらこんな感じ。
 あれですね、相変わらず何が起きてるかよくわからんけど、取り敢えず爆発してんだなって感じ。


 で、です。今回のトランスフォーマー、4にあたるのですが、シリーズ通して思うに、こいつは3以上1,2以下かなという感じ。3は後半完全にただのSFパニックものでしたが、今回はまだロボットバトルしてくれましたね。特にハウンドです。ハウンド!
 こいつ、今回オプティマスやビーより活躍してんだろってキャラです。深緑の軍用トラックなんですが、変形すると咥えタバコにドッグタグにヒゲ、そして大量の銃火器という凄い渋いヤツ。しかも、コイツがまたいい味出してるんですね。
 味方のオートボット(クロスヘアーズ)が
「人間助けて俺に何の得があるんだ?」みたいなことを言った時、すかさずハウンドが銃を突きつけ、
「俺に殺されないだけでも得だろう?」
 なんという筋肉式交渉術!
 こんな展開を見れるとは思ってませんでした。しかも、その後のメガトロンに支配された人間側のトランスフォーマーとの戦いで、またコイツがいい味出すんですよ。脇役が輝いているのは、いいですね。
 一方、オプティマスさんは「顔を剥いでやる!」どころか、「殺してやる(I'll kill you!)」とか言っちゃう始末でしたが。


 本作は賛否両論あるらしく、飲み物を飲むシーンは特に色々言われているらしいですね。戦闘シーンの直後にグビッと一杯。あとは、屋上で牛乳をごくごく。
 中国から金もらってるから云々みたいな意見も散見しますが、いや、言うほどでも無いだろって感じ。むしろ私としては、レノックスさんどこ行ったんだよと小一時間マイケル・ベイを問い質したいところ。なんだよ、墓場の風って。
 とはいうものの、車を撮らせたらマイケル・ベイの右に出るものはいない、というのはまだ言えてるような気もします。カーチェイスシーンは結構良かったですね。
 

というわけで、『トランスフォーマー ロストエイジ』、男臭いオートボットが見たいなら、ぜひ劇場へ。

2014年8月6日水曜日

第一回 ホワイトハウス・ダウン

 機乃遥による映画レビューブログ、なんてものを前々からやりたいと思っていた。自分の趣味趣向を言葉にしていくというのは案外むずかしい物で、小説家になろうの活動報告でたまーにやっていたのだが、それも何だかうまくいかないもので。
 やってみたい、という大きな思いは、おそらく私の好きな作家、伊藤計劃が映画のレビューブログをやっていたこともあげられるだろう。で、なんで急にこんなことやり始めてんだ、というと、夏休みが暇だってこと。(その割に原稿がめちゃくちゃ溜まってるんですがね)あと、創作の方が行き詰まっているってこともありますね。
 そこで、とりあえず自分の考えも言葉に書き表して見よう、というなんとも突発的な企画。


 して、このブログでお初にお目にかかる方もいるかもしれんということで、軽く自己紹介を。
 機乃遥、17歳と20ヶ月(2014年8月現在)。SF作家志望のクソ大学生です。小説家になろうの方でちまちま小説をうpしてますが、最近行き詰まってる感じがありまして。よろしければそちらの方も。
小説家になろうのマイページ


 てなわけで、ツイッターではトランスフォーマー見てからにしようとか言ってたんですが、突発的に始めちゃいます。
 第一回は、ホワイトハウス・ダウン。これ、DVDでレンタルして見てきたやつですねw
 初めに言っておきますと、私はいわゆるアクション映画が大好きです。もう、アホみたいなアクション映画が大好きです。馬鹿じゃねえのって思うようなアクション映画が大ッ好きです。そんな私のツボに入った一作。
 前述どおり、私はアホみたいなアクション映画が大好き。で、こちらの映画もまさにその部類。監督のローランド・エメリッヒは、インデペンデンス・デイとか、デイ・アフター・トゥモローで有名ですね。え? マグロを食べるゴジラ? 何のことですか?
 さて、率直にいってこの映画、ダイ・ハードです。ダイハード・ラストデイを借りるぐらいなら、こちらをおすすめします。

 ざっくりあらすじを説明しますと、もうこれアクション映画の王道なんですが、

たまたまテロリスト襲撃の現場に居合わせた主人公が、たまたま一緒にいた娘をさらわれ、娘を救出にいく(ついでに大統領も)

 という実に素晴らしいストーリー。セガール映画とか見てると、もう見飽きたパターンですね。
 しかし、この王道こそがいいんですね。密室で敵と戦うのなんて、まさしくダイ・ハードを彷彿とさせます。
 そんなアクション映画の王道をやってくれているのが、非常に嬉しい作品。

 次に、なんで私がこの映画を推しているのか。それは、

ホワイトハウスっぽい要素ちゃんと出してるじゃん

 ということ。いや、ホワイトハウスで戦ってんだから当たり前だろって思うかもしれませんが、大統領専用車を使ってのホワイトハウス内でのカーチェイスとか、他にどの映画で見れるんだよ! と言いたくなる。防弾ガラスで機関銃に撃たれてもヘッチャラな車が、ホワイトハウス内をぐーるぐーる。すっごいアホですけど、すっごい楽しそうじゃないですか! しかも要所要所でジョークをいれてくるのが憎いですね。ただ爆発やアクションだけでなく、普通に笑える映画としても面白いです。

 そして、大統領と主人公のコンビがまたいいんですね。いわゆるウィットの効いた会話というやつ。いちいちジョークを挟むのがいいんですね。
 こういうコンビものってのは、二人の会話が面白いことが重要なんですね。リーサルウェポン然り、バッドボーイズ然り。
 そんなアクション映画の美味しい所をうまく押さえた作品だと思います。


 さて、突発的にやったためか、微妙なレビューだなおい。
 というわけで、次回はトランスフォーマー ロストエイジ&オール・ユー・ニード・イズ・キルの予定です。適当に付き合ってくれれば嬉しい限り。